◆タイバツ◆
体罰が議論される中,ようやく体罰の本質が質され始めた。長年教育畑で侵食を繰り返した日教組など特定の教育テロリズムが今崩壊しようとして居るのだ。
日教組や彼らを支持する特異な人々は,“体罰は暴力であるから遺憾”と言う奇妙な主張を滞り無く遂行して来た。しかし体罰は何故遺憾なのかは殆ど議論されて来なかった...例えあったとしても表に出る事無く葬り去られてしまって居る。
そもそも体罰そのものは一度も議論されて来なかったのでは,と言う考えまで芽生えさせる現状はいかがなものだろうか?いや,議論らしい議論は一度も無かった様に思うのである。
即ち,体罰の長所と体罰の短所を挙げる事である。
日教組や彼らを支持する人々は議論する義務を怠って来たのだ。
昔の話だが,体罰に付いて考えるにあたって回想する出来事がある。
私が小学6年生の頃である。当時私の学年にはWと言う東京出身の男性教諭がいらっしゃった。しかし始業式から程無くして,そのW教諭の妙な噂が蔓延し始める。
...あれは暴力教師である。問題あり...
そう言う趣旨の話がほぼ毎日耳に入って来るのである。教師の正体を知らない,当時小学生の我々は鵜呑みにしてしまった。彼は暴力教師なのか...気を付けようと声を掛け合った。
しかし当のW受け持ちの生徒は,噂とは正反対の事を証言したのである。
...暴力はよく振るうけど筋が通って居る。問題?そんなのあるワケ無いだろ...
話がまるで違うでは無いか。
そして私はW受け持ちだった校内クラブ活動に入った。
ある日,私はその暴力の姿を見てしまった。これが暴力かと思った。椅子が舞って黒板から最後列より後方のロッカーにぶち当たったのだ。
彼は顔面を真っ赤にして怒(いか)って居た。何故そんな事が起きたのか理由は忘れたが,とても驚いたのを覚えて居る。
当時は噂は真実だったのかと思ったが,今考えてみると私が大人を敬う様に為ったのはあの日以来では無いか。どんなに腹が立っても相手が目上ならある程度堪える心構えで今日まで過ごして来た。
あれが無ければ私はとんでも無い不良に為って居たかも知れない。
日教組や彼らを支持する人々は即ちドメスティックバイオレンスを嫌い,しかも人によっては旧軍を連想させるからと言う,明らかに侮蔑を込めた理由をまじまじと語りやがるでは無いか。後者にあって
は,私が小学生か中学生の頃に教諭か外部から出向して居た人に聴いたので事実である。
...暴力ばかり振るうと,昔の軍隊さんみたいでしょ...
今同じ事を言われたら私はその人にどんな事をしてしまうか分からない。どこまで先輩達を軽蔑するのか?
テーマ : 雑記 - ジャンル : 政治・経済
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